あかり

東日本大震災の後、しばらく計画停電が行われました。今までは〈停電〉そのものが遠い記憶の中のものだったのに、日常の中で電気が止まるという現実に誰もが直面することになりました。電気が止まてしまうと、なんにも出来ないということに気付かされたようです。そこで照明ではなくて「あかり」について。

くらいあかり

キャンプに出掛けた時、夜の暗さと対照的な月や星の明るさ、想像以上にまぶしいくらいのランタンの光に気づく事があると思います。暗さがあるから明るさがあるという単純なことに気付いたり、何か忘れていた光景を思い出したりすることがあると思います。
現代には〈暗がり〉がなくなりました。家庭も職場も隅々まで明るくどこでも新聞が読めるのが、明るさの常識のようになっています。明るさは日本経済の成長、豊かさの象徴のように思われています。
〈豊かな暮らし=明るい照明=明るい家庭〉と思てはいませんか?
日の出と共に働き、日が暮れると暗い安らぎの時間がやてくる。覚醒と安らぎの繰り返しの中でこそ、健やかな精神が育まれるのではないでしうか。夜になっても明るい生活を過ごす事でどこか、ひずみが必ず現れるように思います。
そこで〈明るい照明明るい家庭〉という考えを捨てることです。家庭では職場や学校とは違う環境が必要です。夜は安らげる暗い夜を用意すること。これこそが本当の意味での「明るい家庭」への第一歩です。

おいしいあかり

スイッチを入れればいつでも明るさを確保できる、一見便利なこのシステムがあかりを楽しむという文化を阻害しているのです。あかりの楽しみ方には明るさだけでなく、光の拡散の仕方、高さ、色味、照らしたり照らされたりする方向など様々な要素があります。それをひとつずつ変えてみることにあかりの楽しさがあるのです。
ろうそくやランプのようなパワーの少ない光の時代のほうが、様々な工夫があったのではないでしょうか。今はパワーに頼っているだけのように思えます。
まず、試しに天井にある明るい照明を消して、部屋の隅のスタンドのスイッチを入れてみては?
天井、壁、床と明るくするところを変えてみるだけで、雰囲気は変わるはずです。
明るさの感じも変わり、意外と明るいことに気付くはずです。
こんな体験が「あかりっておもしろい」という気持ちを芽生えさせてくれるでしょう。これこそあかり文化の入り口です。

あかりを楽しむということは、おいしいものを食べたいという気持ちと同じです。さまざまなおいしい光を楽しむことこそが、豊かな住まいの光りのあり方です。